意に反して気付くと韓国ドラマ、映画を見てしまっています。
なんでしょう?韓国映画と日本の映画を単純に比べると
容赦ないと言いますか、主人公並びに主人公の味方側の人間が最終的に全員悪者にやられちゃう
みたいな、見終わった後になんだかモヤモヤする感じが残っている
新潟県長岡市、自社大工の居る工務店、稲垣建築事務所の稲垣です。
でもマ・ドンソクさんの映画は痛快なのでおススメです。
(因みにドンソクさん、お願いしている板金屋さんの社長に雰囲気が似ています)
ここの所、ボクより先輩の方と地震について話す機会がありました。
ボクがまだ産まれていない頃の地震、「長岡地震」について教えていただきました。
調べて、勉強して、
知識としては持っていましたが、その当時の事を実体験として教えていただける機会は貴重でした。
長岡地震
昭和36年(1961年)2月2日の深夜4時。
震源地は私どもの事務所がある長岡市古正寺。
事務所から歩いて10分もあればいける巾4mに満たない小さな川沿いが震源です。
(TSUTAYA古正寺店の前に流れている小さな川です)
地震規模はM5.2。当時の震度で4。
なんだ、大した地震じゃないのでは?ってお思いになられます?
確かにマグニチュードと震度だけを聞けば最近国内各地で頻発している地震の方が大きい位です。
↑写真は当時の長岡駅。長岡市政ライブラリーから勝手にお借りしましたm(__)m
この地震、地震国日本においても未だに謎が多い地震で
被害は震央付近2kmから4kmのごく狭い範囲に集中しています。
信濃川を挟んで長岡駅の反対側では揺れた事すらわからなかったと言う
本当なんだか嘘なんだか不明の話まであります。
しかし、
死者5名、負傷者30名、全壊家屋220戸、半壊家屋456戸、一部損壊家屋804戸。
決して小さな地震では無かったのです。
当然現在の住宅とは耐震の考え方が全く異なりますが、いくら局所地震と言っても
その程度の地震で全壊220戸って多すぎでは?と思われますよね。
昔の家は今の家より弱かった?もちろん耐震性の違いはありますよね。
でも被害がまったく無かった家も少なくない。
被害の差を生んだのは、、、、
雪です。雪が家を潰し、人の命を奪ったのです。
昭和36年は大雪でした。
その前年の12月30日に24時間で125㎝の積雪記録もありますし、
2月19日には長岡市内でも219㎝の積雪量を記録しています。
多くの家は一階が完全に雪に埋まり2階窓から出入りしていたと聞いています。
(現在の様に消雪設備も無かった筈ですので)
そんな大雪の年の2月2日。屋根には多くの雪が積もっていました。
大雑把ですが、雪の重さは約30N/cm。
Nはニュートンと呼ばれる単位で、30N≒3㎏と考えていただいて構いません。
1m四方の面積に1cmの雪が降ると約3kg。これが1mの積雪であれば300㎏。
昔の家は大きかった筈なのでアバウトですが屋根面積約30坪だと仮定すると屋根上に積雪1mで約30トン、
2mで60トンの荷重が掛かっていたことになります。
この重さ、車(例えば新型クラウン)が屋根の上に38台乗っかっているのと同じ重さです。
家が潰れたか潰れなかったかを分けていたのは大雪の年の2月2日前に雪下ろしをしていたかどうか。
雪下ろしのタイミングが被害が大きく分かれたと聞いています。
弊社のお客様の先々代当主もこの地震で亡くなられたと聞いています。
現代において家に負荷が掛からない様な頻度で雪下ろしをするのは土台無理な話ですし、融雪設備は高額です。
何度もお伝えしていますが、ボクは住まいの耐震性を語る場合、大切にしている事があって
常に「最悪の想定」をすべきなんだと思っています。
当地だけでなく積雪地域においての最悪の想定は積雪時の大地震だと思っています。
積雪地域において耐震等級だけを語るのはナンセンス。意味が無いです。
積雪時、最低でも2mの積雪時の耐震性能を検討して確保しないとダメです。
しつこいようですが
最悪の想定をしなきゃならない理由として実際にあった長岡地震のお話をさせていただきました。