新潟県長岡市、自分だけは絶対にハマらないと公言していたのに
ここ数日「力の強い女 カム・ナムスン」という韓国ドラマ沼から抜け出せなくなっている
稲垣建築事務所、稲垣です。
非常にバカバカしいお話なのですが何故か視聴を止められません。
誓って言いますが韓国女優さんの美しさに沼ったワケではありません。
先日の事、友人と二人で場末の居酒屋で飲んでいた時
たまたま隣の席に学生さん?なのかな?カップルで建築の話をされていたのです。
ボクの連れも建築系でしたので目くばせしながら
若者達の建築感に耳を傾け、時には連れと目を合わせ、目だけで意思疎通すると言う
嫌なオッサン二人組になっていました。
思い起こせば自分も若かりし頃はそうだったのかもなぁ、、、、
彼等の会話の中にやたら英単語が入るのです。
ディレクション、コンポーズ、まではいいのですがポピュリズム、アイロニー、ウィル、オブジェクト、、、
日本語で言えばいいのに(笑)
最近の「建築家」と呼ばれる方々はそうでもないのですが
ボクが若かりし頃の建築家の先生方の文章は半分くらい意味の解らない英単語でした。
よくわからん文章をわかったフリして読んでいました。
それがカッコいいと思っていた20代前半のボク。今思えば笑ってしまいます。
そもそも
設計士と言う資格はありませんので誰が設計士と名乗ろうと問題ありません。誰でも名乗れます。
建築士は1級であれ2級であれ国家資格なので無資格者は名乗る事が出来ません。
建築家と言う資格もありませんので誰がそれを名乗ろうと問題はありません。誰でも名乗れます。
ただ、“士”と付く資格をまとめて「サムライ業」と表したりするので
建築家はまだしも設計士は名乗っちゃダメなんじゃない?と思ったりもします。
若者達が店を後にした後、連れと二人で昔話に花が咲いたのです。
彼も大昔に同じ雑誌を読んでいたらしく(雑誌名すら忘れましたが)
「建築家と言う名の病」という対談形式のコラム?が連載されていました。
それこそバブル当時の建築に向けたアイロニー(皮肉)めいた内容なのですが
それがすごく可笑しかったのを覚えています。
ググってみましたがあまりにも昔過ぎるのか、そのコラム?は発見できませんでした。
・建築家は既製品が嫌い
でもシナベニヤと白いポリ合板は大好物
・建築家は素材(合板やその他下地材としての素材)を仕上げで使うことが好き
〇〇調サイディングや木目のプリント板は敵
みたいな、すごく上手く当時の建築家像を言い表していました。
多分今でも建築家と呼ばれる(あるいは自らそう名乗る)方々は
既製品は嫌いだし、偽物感満載の建材には憎悪すらあるのかもしれません。
ボクは建築家だと思った事など一度もありませんし建築士である=“先生”と呼ばれるのも嫌いですが
そんなボクでも偽物感のある既製品は嫌いかもしれません。
ボク 「要はオリジナリティが出せないもの、誰でも使えるもの=既製品は嫌いなんだろうね」
連れ 「でもシナベニヤでもポリ合板、木毛セメント板、合板、無垢の床だって全部製品だし
誰でも使えちゃうじゃん」
ボク 「うん。でも例えばシナベニヤでも同じベニヤは2枚とないわけでしょ?
無垢のフローリングも同じ樹種であっても同じ木目は絶対に無いわけでさ。
製品メーカーでの手の加え方がその人(建築家)の許容範囲かどうかだと思う訳ヨ」
連れ 「なんか納得できるような出来ないような。。。それがお客さんの為になっているのであればいいんだけど」
ボク 「その人の設計が好きで依頼しているんだから大きなお世話でしょ」
と、少しだけ年下の連れをいさめる様に建築屋のオッサン二人の会話は続きました。
バブル末期を東京の建築業界で過ごした頃が懐かしく感じられる夜でした。
因みに居酒屋での会話ですがボクは小さいビールグラスに一杯のビールも飲めません。